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美術館にアートを贈る会   お問合せは info@art-okuru.org
田中恒子さん佐野吉彦さん
第5弾寄贈プロジェクト作家
児玉靖枝 アーティストトーク 「自作を語る」
 開催日:2015年2月21日(土)

*美術館にアートを贈る会 第5弾寄贈プロジェクトがいよいよ始まろうとしています。兵庫県立美術館に寄贈(予定)の作品選定のため、児玉靖枝さんの絵画制作の変遷を、作者であるご本人にレクチャーしていただく勉強会を2月に開催しました。以下は、スライド画像を交えた児玉さんのトークの記録(抜粋)です。
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児玉靖枝 (以下、すべて):
 私にとっては絵画を描くことは人生の大半を占め、重要なものになっています。こうやって皆さんとお会いできるのも私が絵画を作り出しているところから始まっています。そういう意味で、私自身が世界と関わったり、世界を見つめたり世界を捉えたりするうえで、絵画が介在しています。ですから、この絵画という空間で、世界を見つめる、世界を捉えるそういう立場で私自身は制作しています。
 

<学生時代、静物画との出会い>

 私自身が絵画を本格的に勉強し始めたのは、1980年代の初めです。当時はコンセプチュアルに美術を枠組みから捉え直すようなストイックな動きと、もう一方で内面が爆発するような表現主義的な作品がパラレルに出てきた時代でした。それが極端すぎて、どっちがよいというスタンスに立てなかったので、まず目に見える目の前のものを見つめることから始めようと思いました。
   《石心》1982-3

 学生の頃は3、4ヶ月かけて細密に石などをモチーフに絵を描いていました。ただ、私の中で描きたいのは、石ではなくて、ここに石が置いてあることによって、私が居る場所から壁までの距離、その透明な空間が描き出されるということに興味があったように思います。
 1920年以降に静物や風景といった日常的なものを淡々と描き出しているイタリアの作家ジョルジュ・モランディーを大学の先生に示唆され観ていました。このモランディーの絵の中には、いろいろな場所や次元あるいは要素が淡々と同じように並置されていて、その状況がとても不思議でした。その不思議さを自分で確かめようとしたとき、絵画は、現実や可視的な三次元空間を二次元という平面上にイリュージョンとして写し取るだけではないということに気づきました。自分の中で絵画空間を意識したのは、モランディーとの出会いが始まりで、それを自分の中で制作を通して確かめました。
画家は目と手で考えることを当時感じ取り、かなり写実的に描きましたが、三次元空間の再現描写ではない領域を探っていきました。
 そうこうしているうちに、写実からさらに離れていって、画面上の絵の具のありようや物と物との間の空間という、要するにポジでなくてネガの部分を行ったり来たりするような感覚が、私にとって興味がある事柄になっていきました。このように静物画を通して絵画という世界に本格的に足を踏み込んだのです。


<抽象画へのあこがれ>

 ありきたりの写実絵画をこつこつと重ねていくうちに、画面上での色や形、絵の具の物質あるいは色彩といった抽象的な要素に触れるようになっていくと、自分の目に留まる有名な作品も変わっていきました。それまで見えてなかったものが見えるようになったと思います。
 例えばマーク・ロスコは好きな作家です。画面上に塗られた絵の具が、とてもデリケートな塗り方や色の配置によって矩形の限られた空間の中から色が光になって膨張してきたり、奥に引っ込んだりします。それは静物画を描いていても、そこに筆で乗せる絵の具は単純な物質ですが、それが絶妙な組み合わせや重ね方によって光になります。
 それと同じように抽象絵画の中でもそれが光になって、特に抽象表現主義の大きな作品は包み込まれる感覚になったりします。
 ロバート・マザウェルの作品は、なんとも茫漠とした広がりのある作品でスケール感があります。それまであれだけ細密に何ヶ月もかけてコツコツ積み上げて作品を描く、その確かさみたいなものを確かめていた私にとっては、なんともあっさりした塗り方。でもすごく絶妙。これはたぶん、下地にライトレッドのような暖色系の色を塗ったあとに上から青色を重ねると、白いキャンバスの物質的な支持体から、海とか空という何か実態として空間を感じさせる、色の視覚的効果や精神的な作用によって助長させるような空間が形成されるのでしょう。ただ、このテキトーな塗り方がにくい。
 私はあまり勉強熱心な人間ではなかったので、サイ・トゥオンブリーという作家を知りませんでした。たまたま、1988年に友だちとヨーロッパを旅行したときに、ポンピドゥーのギャラリースペースでサイ・トゥオンブリーのミニ回顧展をしていて初めて出会いました。とても新鮮で、勉強してなくてよかったと思う瞬間でした。
 そのトゥオンブリーの作品を見たときに、ロスコとかの表現の精神性とは違っていて、紙に鉛筆やペンで文字を書くときに指先に伝わる感覚を感じました。その作品を見たときに、視覚的に何かを理解するのとは違う次元で、触知的にあるいは時間的に感じ取る表現だと思いました。
   《natura morta》 1988

 それがきっかけで、私の作品はどんどん静物画ではなくなっていったのですが、まだこのときは静物画を「ナチュラモルタ」というタイトルで描いていました。ジョルジョ・モランディーの静物画のタイトルにも「ナチュラモルタ」があって、イタリア語で静物画「死せる自然」という意味です。モランディーに対するオマージュでもあるかもしれませんが、しばらく「ナチュラモルタ」というタイトルで静物画を描いていました。
 このころになると、実際に物を目の前に置いて描くのではなくて、単に画面上の線やちょっとした形が起点になって、空間と何かそこに存在することによって、絵画的なあるいは三次元的な空間のイメージが発生していく、そういった感覚で描いていました。
 その頃、周りの人が心配しました。「何もなくなって、画面上から消えてしまうんじゃないか」って。言われるまでもなく、自分の中でも、すごく心地がいい、何かその具体的なものに埋められていない茫漠と広がる空間の中でたゆたう心地よさみたいなのが、画面の塗り重ねの中で生まれてくる感覚になっていました。
 ただ、そうやって静物というモチーフがきっかけだったのが、どんどん画面上でのできごとに興味が出てきました。絵画は、いちおう矩形という四角い画面、平面という一つの約束事があります。四角い画面の中には、真ん中へんと周辺、エッジの部分があります。すると、端っこが気になりだしました。絵を描いている人は、大概、端っこをどうするか、いろいろな次元で気になることです。図を読み取ろうとしたら、感じ取れる空間性とその画面の端っこが、真ん中になったときにそれがどんどん広がりをもっていくことを確かめながら、描いていきました。どんどんただただ自分の居心地の良いところに、いわゆる引きこもり気味になりそうな気分になっていたので、少し積極的に、絵画という一つの空間、あるいは一つの世界を実現させることを試みようと思ったのです。
 たぶん表現においてはなんでもそうだとは思うのですが、何か具体的に形作る要素にずっと向き合っているので、世の中で何が起こっていようが、目の前のキャンバスと油絵の具がその表現者にとっては一番リアリティーのあることになってしまいます。芸術至上主義的に絵画あるいは表現の世界に引きこもるのもひとつの方法だとは思います。そういう意味では、さっきの引きこもりとは別に、その入り込んだ絵画空間をより積極的に実現させようとしていました。
 
 《untitled》 1990

<抽象画の始まり、モノクローム>

 あらゆる色彩を持ち込んでしまうと、一体なにが起こるのか、混沌としすぎてつかみきれなかったので、まず、一色のモノトーンの濃淡だけでどこまで絵画空間が広げられるのかを試みました。
 実はこれには裏話があって、この年にスキーで怪我をして油絵の具が描けなくなったのです。仕方なく、久しぶりに木炭デッサンをしていました。木炭デッサンは、要するにモノクロの仕事。自分がそれまで静物画を描いていて、そこから飛躍したいと思ったときに、その木炭の濃淡で描き出した表現がベースになって、様々な要素で一つの空間を作っていくということを試していきました。
 そうなると、それまではせいぜい100号くらいの大きさで済んでいたのが、アメリカの抽象表現主義との出会いもあったとは思いますが、目で見るというよりは体感するという絵の中に入り込んでいくような感覚が必要になってきました。
 この抽象画を始めたときから画面が大きくなります。これは、高さが194 cmの三枚組みの作品で、白い部分は既成の地塗りキャンバスの色です。私の興味は、具象を描いていた頃に憧れでロスコとかモランディーの抽象絵画に魅入っていたのと同じように、いざ自分が抽象画を始めてみると、今度は具象絵画のほうに気持ちが引っ張られました。ないものを求める気持ちでしょうか。


<土田麦僊「朝顔」から、自然との重なり>

 私は学生時代以来、京都に住んでいます。京都市美術館や京都国立近代美術館は、四条円山派の流れを汲む、近代の京都画壇の作品を多く収蔵していて、その展覧会をたくさん見る機会がありました。私の興味をひいた作品がいくつかあります。
 中でも土田麦僊の「朝顔」(1928年)という昭和の初めのころの作品はそのうちの一つです。水干絵の具の上澄み液を塗り重ねて透明感のある葉っぱの緑を出したり、花の部分は逆に絵の具の物質性を際立たせて、白い胡粉で花びらの丸みを盛り上げて、藍色のかなり粒子の粗い要するに鮮やかな青色を一粒もはみ出さないくらいの精緻さで塗っています。自分がワーッと描いていたころに、自分とはぜんぜん違う技法で描いている麦僊の作品に惹かれたのです。
 あともう一つは、実際に自分が抽象絵画を描いている中で、「それって今のこの時代とか自分以外の世の中とどう関わりがあるんだろう」と悩みました。引きこもってはいけないという気持ちや自然を見るときに感じていることを絵と重ねたいという気持ちが強くなっていきました。
   《untitled》 1993

 私も朝顔の花はすごく魅力的で絵画的な花だと思って見ていました。というのは、朝顔は蔓性の植物で、垣根になっていて、葉っぱが並んでいる面のちょっと手前に花が咲いています。そうすると葉っぱよりも少し手前に、青と白が浮いて出てきます。光でもあるし、色でもあるし、花でもある。そういった朝顔の在り様が、画面上の絵具が何を示しているのかという問題と重なる。あるいは色と光の両方の間を往き来する感覚というのが、私にとっては絵画的なものでした。
 即ち、物自体と空間的なイリュージョン。絵画を生成することの要素が朝顔の垣根の中にも読み取れて、私はどういう方法で色彩の在りようとその現実の可視的な世界のありようを写し取ることができるのだろうと考えていました。
 

<モノクロームから色数が増えてきた時代>

 今度は、濃淡だけでなく複数の色を持ち込んで、重なりの中にそういった空間的なイリュージョンを考えました。一つの情景の上に、線を重ねるとそれまでの空間が何か別の形に見えたりします。一つの絵の中でそれぞれの要素が組み合わさることで、表現の絵画的な空間の変化や見る人の意識によってそれが移っていくことを考えていきました。
 水路というテーマを付けてそれを表現しました。例えば、アルハンブラ宮殿のライオンの噴水。これが面白いのは、中庭の真ん中にライオンが守っている噴水があって、この噴水の水が流れているのは、ライオンの噴水から十字に水路があって、それが部屋の中まで入って、建物の内と外をつないでいるイメージです。これは夏に涼を取るための仕掛けでもあるだろうし、水というものの神聖さ、貴重さがあったからだと思います。
  《青の水路》 1994

 これも、青い線に意識を向けたときと、その周りの空間の広がりに意識を向けたときとで、線によって切り取られる形が見る人の意識の中で次元がずれていきます。また、二つの画面の右と左の画面の間を移行するときに、そういった転換を引き起こすようなことを考えていくと、固定された一つの視点で見るというよりは、見る人の身体性の中で空間を体験するようなことになってきます。
 抽象絵画も、鑑賞者が立つ現実の空間と、絵画という一つのイリュージョンの世界の間を見る人も視点を移動させながら感じ取っていく表現が増えてきています。その現実的な空間の中で、例えば、日本の伝統的な吹き抜け屋台という描き方による空間で、画廊の壁面を左から右へ移行する中でそれを体験させることを表現するようになり、可視的な現実を引き込むようになり、また、具体的な図を結ぶようになります。
 

<具象絵画へ、出会った感覚を絵に>

 2000年、まだアートコートギャラリーが別の名前の画廊だった頃に、ここの壁で展示した作品が《Looking up Leaves》です。要するに、木を見上げるように作品を見上げてもらおうとしました。天井が高い、ここの空間ならではの作品です。普通、絵というのは、だいたい145cmの高さを展示のセンターとするのが美術館基準ですが、私の場合はもっと高くして、絵を見るというよりは空の木を見上げる高さに展示してみたのです。つまり、視線の動きと一緒に作品があって、道を歩いていて街路樹を見上げるときの感覚です。歩きながらその風景に触れる感覚を呼び起こしたいという思いで描いています。
   《ambient light-flower》 2000

 これは、春の街路樹のこぶしです。葉っぱより先に花が咲きます。まだ春先なので、あたり一面が緑じゃない時期。そうすると、葉っぱの無い枝に白い花が咲くと、花が空中に浮いているように感じます。それがすごく心地いい。ブルーグレーの空間の中に花びらを描いて、その感覚を再現しています。この頃から基本的な描き方は同じです。
  《ambient light-goldfish》制作風景 2002 兵庫県立美術館 アトリエにて

 これは、「私の人生☆劇場」。今の兵庫県立美術館がオープンしたときの記念の展覧会で、森村泰昌さんや松井智恵さんと一緒にやった展覧会です。この美術館にある、展示空間と同じ広さのアトリエを使えるということなので、大きい作品をその空間で制作しました。
 白いキャンバスに、モップの柄に大きな刷毛を結び繋げて描いています。まず一層目はピンク色。ピンク色は膨張色です。白いキャンバスから始まるのではなくて、そのキャンバスの向こう側からこっち側に広がってくる空間を先に作ってしまおうとしました。
 紅葉の朝鮮楓の街路樹です。このときの取材はビデオカメラ。京都の洛西ニュータウンの街路樹の下をカメラを上に向けて歩きながら撮影した画像を切り取って、それをモチーフにして描きました。
  《ambient light-goldfish》制作風景 2002 兵庫県立美術館 アトリエにて

 こうやってピンク色を同じようにダーっと塗って、塗った瞬間のまだ乾いていないうちに、葉っぱのイメージを描きます。それを一旦、乾かした後、今度はいろいろな色を混ぜ合わせてグレーを作ります。これはずっと定番で、いまだにそれをやっています。その時々によって、微妙なニュアンスを変えています。
 グレーでもこれは無彩色ではなくて、あらゆる色彩を包摂する、包み込む色としてグレーがあって、それを空の色に見立てます。青みがかっていますが、ときどき黄みがかっているときもあります。そういうグレーをつくって、ボールにメディウムをたっぷり溶いて、刷毛で全面にダーっと塗っています。
 その絵具が流動的な状態は数時間ですが、その数時間の間に一気に描きます。ですからあっという間に作品ができてしまいます。今はもうちょっと複雑なのでこんな一気にはできませんが、実際にその風景、光景との出会い、特に視覚的な出会いは一瞬です。その一瞬の出会いを、出会ったときの感覚を、絵を描く感覚と同じようにしたい、その出会ったときの感覚をもう一回再現したい。あるいは、追体験したい。なので、一気に描きます。
 ファンという扇形に広がった筆を使って、朝鮮楓の葉っぱを日本のもみじのみたいに複雑ではなく、単純な三本の角のあるような形の葉っぱを描いていきます。そうすると、絵の具が上に乗ったり、グレーの色を削って、下のピンクが透けて見えたりすることで、実際に光を受けてちらちらしている葉っぱの在り様が、絵の具の現象と自分の行為との間で出来上がってきます。それが、自分の自然のありようを写している感覚になれる瞬間です。それが、自分が日常の中のありふれたものの中に、それが何であるのか認識したり説明したりする以前の感覚「あ、きれい」と思う瞬間なのかもしれません。あるいは、それが、畏怖の念、怖いとか恐ろしいとかの感覚の場合もありえますが。
 その瞬間、瞬間の感覚を絶対的に捉える方法としてこの方法をとっています。いちおう、この描き方が基本です。その時その時の出会ったものによって、それがどういった感覚として受け止められるか、技法を選んでいきます。常に実験の繰り返しです。


<日常の出会いが作品に>

  「boundless blue」というテーマで企画展に出品してほしいと言われたとき、無限に広がる青=海のイメージと重なるように、お風呂の水面を描きました。

 《open the air》というグループ展の出品作品。ふっと頭に浮かんだのが、養魚池。アオコで濁った池の中で赤い金魚が泳いでいる様を思い浮かべました。大和郡山に行ったら出会えるかもと思って、どこにあるかも調べずにとりあえず行ってみました。そこには、堤防に囲まれた田んぼのような池があって、本当にきれいなアオコの水の中で赤い金魚や出目金が群れを成して泳いでいました。緑の水の中に赤い絵の具が滲み出てくるように、金魚が水面近くにふうっと現れてきます。「やっぱこれ絵になるよな」、しかも、それは水面なので角度を変えると空が映りこんできます。絵画の要素が全部入っている、そういった感覚で金魚を描きました。
   《ambient light-goldfish》2002

<感覚をストレートに描くには>

 兵庫県美に寄託しているこの2点は、300号くらいの大きさ。これは気持ちよく描いたので、勢いがあまって金魚がどうしても大きくなってしまいました。金魚はドローイングを300枚くらい描いています。これもさっきと同じように暖色と寒色を何層も重ねています。表面的には緑ですが、その向こうの奥行きを作るために色を重ねています。その重ねの効果を確かめるために300枚くらいドローイングを描いていて、金魚の場合も初めは取材で得た画像を基に、一匹一匹の金魚の泳ぎを映しながら描いていきますが、金魚の泳ぎ方、群れ方がつかめて絶対的な感覚で描けるようになってくると、画面の大きさに合わせた身体感覚で金魚が大きくなってしまって、「あの鯉の絵よかったね」としか言ってくれない人がいたりして。わりとそういう感覚が自分にあります。
 いろいろなモチーフを大体一つにつき最低30点くらい連作で描いています。というのは、その情景を捉える感覚が自分の中で身体化する、目をつぶっても描けるような感覚になってくるために、だいたい30点くらいそのシリーズで描いています。
 
 《ambient light-sakura》2001

 この頃、自分の中ではかなりコンセプチュアルに絵画を考えていました。
 《ambient light-sakura》 という作品は、ジェームス・ギブソンのアフォーダンスという考え方に影響されています。その中で、包囲光という、光は一直線的ではなくて乱反射して事物や空間を包み込んでいるという光の在りようによって人は事物を知覚することができるという思想だったと思います。ただ、その言葉の捉え方を少し勘違いしていたとは思いますが、可視的な世界を人が認識するための光としてのアンビエントライト、どちらかというと認識論的なアンビエントライトという言葉で存在やその近く認識の曖昧さを表現しようと描いていました。
 特に当時は、現代美術で桜を描くのはほぼタブーだったと思います。でも、存在としての美しさ、儚さとか、人が物を見て認識することのあいまいさとか儚さを表現する上で、すごく重要なモチーフだと思って桜を描きました。最初は写真でとらえた画像に引っ張られて、描写することで桜の花の形を描こうとしました。でも、描いていくうちに感覚的になっていきました。最後には、認識する目線から存在そのものの感覚をストレートに受け止めるように変わっていきました。包囲光を自然とか私とか世界を包み込んでいる生命的な光というイメージで、言葉を捉えなおしたといえます。そのために、30点くらいの連作が必要になってくるのです。今この作品を振り返ってみると、「よくこんなにいい加減に描けたな」と思います。
 抽象を描いていた頃の大胆さがまだ体に残っていたのか、若かったのか、かなり、大胆な手つきで描いています。それでも実際に細密に描くよりもこの桜の花の下に立ったときの空気感を描こうとしました。その花を説明するために描いている訳ではなくて、その空気感を掴むために絵の具が明るいグレーの空間の中に溶けていくような感じで、三次元的な奥行きを作り出しています。  
 その桜の木をずっと一年を通して観察していると、みんな花見の頃には興味を持ちますが、葉っぱが紅葉して落ちた瞬間から、もう次の花芽が出ているのですが、だれも注意を向けて見たりしないように思います。その存在に対するものの見方は、繊細に深めていく必要があると思いました。
 まだ寒い時期に桜の木の枝を空を見上げるような視線で見て描いた作品です。このときはグレーの空の中にほぼ油絵の具の線だけです。油絵の具は、顔料(色の粉)を乾性油で練って作られた絵の具ですが、顔料はいろいろな鉱物などから採取しているので色によって、比重が違います。
 いろいろな色を混ぜていくときに、沈む色と浮く色を混ぜていました。描いた瞬間に沈む色と浮く色があることで、画面の中に一塗りしただけで層ができます。そういったわずかな差の中で三次元的な空間やあるいは四次元的な空間まで広げていく方法を使っています。
 
 《air-moegi》 2006


<水平目線に>

 これは咲き始めのつぼみです。ちょっとずつ視点が細密になって、どんどんささやかな営みの中に求めていくようになってきました。最初のほうは、桜とか金魚とか、わりと大まかなところで見ていたのですが。
 例えば、これは山間の中で春先に開く若葉です。葉っぱも花と同じように核があって、それが割れて葉っぱが出てきて若い葉っぱは薄いので透明感があります。いわゆる萌黄色の葉っぱです。それが、山間なので、逆光の光を通過して目に見えるので、空間の中に翡翠のような緑色が、ちらちらと宝石が輝いているように見えます。それがとても美しい。その感覚を絵に描きとめたいと思いました。
 最初、空を見上げて描いている絵が多かったのは、そんな細かい作業が一気にできないことと、重力から解放されたいという衝動が強かったからだと思いますが、この頃から、どんどん視点が細分化していって、そのただ光るものだけでなくもう少しいろいろな角度で、自然とか存在を見ていきたいと思いました。この頃は水平目線に降りてきた時期です。
 そうすると、何々の葉っぱが光っているという風に認識するよりも先に、何かが宝石のようにきらきらしていることの方が先に入ってくる、その感覚をどういうプロセスで、ここに定着できるかをまた考えました。
 下の層は、写真に切り取ったものを見ながら構成していきます。あまりにも見た目が違うので、誰も写真を見ながら描いているとは思わないのですが、下の層はかなり細密に描写したあと、比重の違いによって分離して層ができ絵の具の組み合わせで色を作って表面にのせて、それで見えているとこだけを描いていくという風に作風を変えました。

   《気配ー萌黄》 2007

 これも同じように描いた作品です。春先の「山笑う」という言葉で表現される季節です。木の芽が膨らんでくると枝先が紫みがかって、それまで冬枯れの寒々しい状況から、木の枝先が膨らんでくると、空気全体が膨らんで感じられます。それのたそがれ時の情景を描き出すことや、あるいはさっきの翡翠色の葉っぱと同じように萌黄色の若葉が空気を膨らます感覚です。下の層はかなり描写して具象ですけど、それをことさら描写するのでなく、自分が見ているものに焦点を当てながら、あるいは自分の身体感覚でその瞬間瞬間を捉えていく感覚の中で、これも一気に描いていきます。
 
 《深韻 六》 2009

 光のほうに自分の中では焦点が当たっていたと思いますが、それだけでは、自然や存在が捉えきれていないという思いから、もう一歩その奥に入り込むことができないかと考えるようになりました。
 遊歩道の入り口から見ていたところに、実際に山道を分け入ってきて、今まで来た道とこれから進む道の曲がりくねったところを取材して、それを表現してみました。
    《深韻 十四》 2009

 これは、うっそうとした木に囲まれた池ですが、その池に映りこむ葉っぱとその水面を描いた作品です。これも、その光と闇、あるいは虚と実の空間というものをすごく感じさせます。
    《深韻 十六》 2009

 これは、京都の大原への入り口あたりにある崇道神社というわりと渋い神社ですが、明るい時間に行ってもちょっと薄暗いようなところです。夕方の薄暗いときにそこに行くと、ここからそこまでの実際の距離がすごくあいまいになって、現実よりも距離を感じたり、あるいは感じられなかったり、そういう光の量によって心理的にも距離が変わっていくのではないかというのをよく絵にしたりしました。
 

<現代の孤独と>

 2010年に長谷川等伯の「生誕400年」という展覧会があったときに、等伯の松林図を見て、この等伯の主客融合的な世界観はなんて素晴らしいのだろうと思いました。と同時に、現代の我々にとって主体と客体の関係はどうなのか、と考え、何か失っているもの、取り戻すべきものとかを考えていました。
   《響み》2010

 その現代の孤独と、それでも人と繋がりたいという感覚を、《響み(とよみ)》(小鳥がささやきあう様子)というタイトルで表現してみました。雑木林の中の1本の松の木が、冬枯れの中で一人、深緑の葉っぱと松ぼっくりをつけてがんばっている姿と、周りの木は広葉樹で枯れている孤独との連作が、展示空間の中で、間をぬける風のような感覚で繋がっています。
    《深韻—雨》 2010

 あるいは、森の中に分け入るときに雨が降ると自分自身が雨と森によって囲まれて、社会から切り離された感覚になります。そういう孤独感と、世情から逃れられるような安心感や自然に包み込まれる一体感。そういう全然違う感情が同時にある感覚を表現しました。
 

 2011年の東日本大震災の前に、海の絵を描いていました。海は、あらゆる生命の生と死を包摂している、あるいは、あらゆる色彩を包摂している存在として感じ取っていて、海を描きたいと思いました。でも、あまりにも全てがありすぎて、あるいは何も無さすぎて、とても描けないと思っていました。
 なんとか描きたいと思って試行錯誤していたら、あの震災が起こったのです。「こんなときにこんなもの描いていて良いのだろうか」という思いと、こんなときだからこそ自然に対する〈まなざし〉を自分でも発信しなければならないという思いが混ざって《海神(わたつみ)》というタイトルの作品を描きました。《海神(わたつみ)》は、わだつみとも読みますが、海の神様です。
    《わたつみ 九》 2011

 本当に難しい。今までは自分の身体性で描く、主体的に描くということと、絵の具の物理的な現象に委ねて表現として実を結ぶことを考えていました。でも、この海の絵というのは、図柄がほとんどない。これは波がかぶさっているところを内側から見ている感じなのですが、波に飲み込まれる手前ぐらいの感じと思ってもらえたらいいです。それは、ほんとにかぶるほどの大波を実際に見ているのではないのですが、私の記憶の中では、小学校の頃に須磨海岸で台風のときにかぶってきそうな大きな高波を間近に見た記憶があって、それが原風景としてあります。
 このときはいかに描かずに描けるかということを考えていました。パネルではなく木枠にキャンバスなので、どうしても若干真ん中がたるみます。家のアトリエの床も若干傾いています。その絶妙な傾きと絶妙なたるみで、水が流れるように、漂うように、絵の具が流れてくれました。いつもよりもちょっと濃度の濃いメディウムで溶いた絵の具が画面上を流れました。もちろん前もっていろいろ手は尽くしていました。ちょうどそのイメージが感じ取れるようなところを見守る感じです。かなり忍耐力がいります。
 津波という現象にしてもそうですけども、「自然」というものを人間が御しきれるものじゃないことは自明なことだと思います。同じように、実際に自然が引き起こすことと、自分がそのことに対して行為することとの間をどう捉えるかということは、すごく大事な問題です。それをここで実現できたらいいかなと思いました。
 この作品は実は60点くらいありますが、その中の数点を並べて個展をしたときに、心地いいと受け入れてくれる人もいましたが、怖いと言って、すぐ出て行った人がけっこういました。たぶん掴みどころが無く、不安にさせるのだと思います。
 
 《深韻—風の棲処》(銀杏) 2012

<見上げる作品を再び>

 これは、最近の作品ですが、黄葉した銀杏の葉っぱ。CASOの近くの海岸神社という海の神様の神社の参道のイチョウと御所の銀杏をカメラで取材しました。
 銀杏の葉っぱも銀杏の実でもそうですけど、すごく死と再生のイメージが強い。紅(黄)葉は死の暗示でもあるのと同時に、そこからまた新しい命が生まれてくる再生のイメージ。あとやっぱり黄色は一番光に近い色なので、銀杏の葉っぱを描きました。しばらく水平目線や、下を見たりしていたので、知り合いの日本画家に「児玉さん。空を見上げることができなくなったんだね。」と言われて「いや。そんなはずはないはずや。」と思って、久しぶりに空を見上げてみました。それでもやっぱり、自分の中でどんどん負のイメージや闇の世界というものの居場所ができてきたので、ただ明るい光だけでは済まなくなっています。こういう生命的なエネルギーを感じられるような状況であるのは、光と闇の両方が相まって存在があるという自然観に移っていっているからだと思います。
 
 《深韻—水の系譜》(霧雨) 2013

 《深韻―水の系譜(霧雨)》というタイトルの作品。これは、関西にはどこにでもある雑木林です。私は2012年から宝塚大学(元宝塚造形大学)に勤めさせていただいていますが、そこは川西の方の山の上にあります。だからちょっとだけ雑木林を背負っています。あんまり奥行きもない、なんの変哲もない雑木林ですが、ある日、しんどい会議が終わって、研究室に帰ろうと思ったら、雨が降りそうになってきて、見る見るうちに霧が立ち込めてきて、近くの木が見えなくなるぐらいの霧になりました。その時に、今まで面白くないなと思っていた風景が美しく見えて、霧によって閉ざされた外の世界が逆に、その存在の奥行きとして、感じ取れたのです。これをぜひ描こうと思って、これももちろん取材はカメラで撮りました。
 これもまた同じように、絵の具とか支持体、メディウムの物理的現象を取り込んで、イメージを作りだすことを考えました。これは木炭です。さっきのも木炭です。これも木炭の上にガッシュ、不透明水彩にちょっと顔料を足して描いています。これは、ペインティングですが、技法はかなり複雑で、へとへとになる技法で描いています。
 これは先にイメージを描いていて、描く順番や顔料の性質によって乾く速度が違って、それの乾き加減で表れ方が違います。一旦、描いて、上から一層絵の具を塗ると勝手に反応を起こして、下の線が浮かび上がったりするので、ぼわーっと出てくるのを待つ作品になっています。なかなか思いどおりに出ないのですが、霧とか霧雨はなんかすごく空気が重い感じ、重苦しいという重量感ではなくて、そのしっとりと、空気の層の存在を感じられる重量感、と言えばよいでしょうか。それを出すために、絵の具だけではちょっと足りない気がして…パール粉という雲母のような日本画の顔料をちょっと混ぜて物質感を出して描きました。ちょっとした気温の変化とちょっとした絵の具の混ぜる分量とちょっとしたメディウムの薄さで、出てくる現象が違います。
 
  《深韻—藤時雨 十》 2014

 これは去年描いていたモチーフで《深韻―藤時雨》という作品。これは家の近くの里山ですけども、木に絡み付いて枝垂れてくる、あの藤棚の藤ではなくって、たぶん自生の山藤です。
 いつものように散歩しながら見上げると、すごい量の藤の花がそれも高い空、位置に付けていて、まるで紫の雨が降ってくるような感覚がありました。その感覚を絵に描くときに、同じような方法で一つの筆跡が、その花であったり、光であったりに見えるようなイメージを描きました。花であるよりも色であることが先に来るような感じに。画面の上で色彩がちょっとこぼれてしまうような感じにしたいと思いました。それは、東京で活躍されている抽象の松浦寿夫さんという作家の方で、色彩で絵画的な空間を追っている方ですが、その人との二人展をすることになって、こういう形で展示しました。
 紫色はすごく特別な色で、空間の中に入れるとすごく馴染みにくい、浮いてしまう色です。コンセプトにぴったりなのですが、なんだか性に合わなくって、思いっきり緑を入れて濁らしたりして馴染ませるのですが、紫色はコバルトで比重が重いので、描いたときちょうど良くてもできた時に沈んでしまってちょっと紫が弱く、こぼれにくくなってしまいました。

 そんな風に、自分が日常の中で出会うものを常にモチーフにしているのですが、絵のために散歩しているようなところもあるし、あるいは、絵になるものを常に探そうと思って歩いています。もう少し、向こうから受けるものを求めたいという気持ちもあります。ただ、最近仕事も忙しくてなかなか散歩にも行けなくて出会う機会も少なかったりするので、学校の裏山とか、学校の敷地にあるミモザの木とか、自分が日常的に触れるものに、もっと、もう少し卑近なもの中にも、存在の不思議に出会える世界とかそういう、いろんなものの中で自分の表現が展開していけたらなと思っています。

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児玉靖枝 プロフィール
1961年神戸市生まれ。
1986年京都市立芸術大学大学院絵画研究科修了。同年より神戸、京都、大阪、東京の画廊で個展開催多数。

近年の主な展覧会
2002年「未来予想図―私の人生☆劇場」兵庫県立美術館
2003年「水を掬ぶ。花を弄する。」横浜市民ギャラリー他巡回
2007年「DIALOGUES Painters’ Views on the Museum Collection」滋賀県立近代美術館
2009年「LINK―しなやかな逸脱 神戸ビエンナーレ関連企画展」兵庫県立美術館
2010年「プライマリー・フィールド Ⅱ: 絵画の現在―七つの〈場〉との対話」神奈川県立近代美術館 葉山
2012年「新インキュベーション―揺らめきとけゆく」京都芸術センター
2014年「クインテット・五つ星の作家たち」損保ジャパン東郷青児美術館(東京)

パブリック・コレクション
京都府、東京国立近代美術館、東京オペラシティアートギャラリー、釜山市立美術館、
資生堂アートハウス掛川、神奈川県立近代美術館

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第5弾寄贈プロジェクト作家 勉強会
児玉靖枝アーティストトーク「自作を語る」 開催日時: 2015年2月21日(土)

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